2003/09/01
夜想yaso
今野裕一/Yuichi Konno
interview
Gottfried-Helnwein
Gottfried Helnwein,「ゴットフリート・ヘルンヴァインインタビュー」
特集/ゴス 2003年9月1日刊行 translation■山川純子/Sumiko Yamakawa translation supervision■青木直子/Naoko Aoki Helnwein: アートは常に、作者の生きている社会や時代を反映し、その文化をめぐる状況について何かを語っているものだと私は考えています。現代は物質主義と利潤追求の時代であり、すべてを食い尽くす娯楽産業は時代の寵児です。 ですからアーティストもキュレーターも、忘却の海に沈まぬよう、聞いてもらい見てもらおうと、必死でこのマルチメディア娯楽の怪物と必死に格闘するため、怪物と同じくらい騒々しく安っぽく愚かでいなくてはならないのです。 だから美術館におさめられた現代美術の作品の7、8割はくだらないものなのです。とはいえ、それぞれの時代は、時代ごとの美的価値を持っていることも事実であり、この時代の観衆によく伝えたいと思えば、彼らにとってわかりやすい美術言語を創り出さなければなりません。 それが私のやっていることなのです。「観客は私の生涯の恋人です」と言うほど、私は公衆に取りつかれています。私は作品によって、観客のみなさんに触れ、抱きしめ、心を揺さぶり、ときにはお尻を蹴飛ばしたい。私が専ら考えているのはこのようなことなのです。 またいっぽう、私も観客の声を聴き、真剣に受けとめます。なぜなら観客やほかのアーティストだけが私に何かを教えてくれる人々ですから。 このプロセスを、進行形の相互学習と呼んでもいいと思います。 私は観衆が私の意図を誤解したとか曲解したと思ったことは全くありません。愚劣で尊大な一部の美術批評家や「権威」は、たいてい私の意図が理解できないのです。 それにしても、こういう権威をかさに着た自称専門家たちが、私の作品を受け入れ、もてはやすことがあったら、それはさぞ怖いでしょうね。
1.ナチスのイメージ

Q: ナチスによって蹂躙された第二次世界大戦後のウィーンで、活動を始められたあなたは、若い時代から現在までしばしばナチスのイメージを使っています。60年代後半から70年代にかけて事実と経験が色濃く残っていた時代と、映画や読み物でしかナチスのイメージを知らない時代では、ずいぶん変化があると思います。たとえば頽廃芸術としてナチスが否定したイメージと、ナチスを合体させたイメージの表現は数多く存在します。
イメージの受け止め方が異なっている時代に、あなたがナチスのイメージを使う時に、使い方の変化はありますか。あるいは変わらないままですか?
Helnwein:
まず、私がどうして自分の作品にこういうイメージを使うことになったかを説明させてください。それはあなた方が思っているよりもずっと単純で、科学的でもなんでもないことなのです。
私のアートは公衆との現在進行形の対話であり、私はそれを30年前に始めました。私はごく幼いころから、自分の生きている世界は何か常軌を逸した狂乱の場所のようだという印象を持っていました。何がどうなっているのか、さっぱりわけがわかりませんでした。周囲の、とりわけ大人はそれを取り仕切っているような顔をしていてもひどく奇怪な行動を取っていたし、誰もが見えない決まりや掟の複雑な網にからめ取られているように思えました。「お前はそれを破った」と言われたり、ぶたれたり蹴られたりするたびに、その網のことを思い知りました。私はいつも思っていました―「こんな所で一生を終われるものか」
「こんな所で何をしているんだろう?」ただそこは自分の故郷ではなく、そこに帰属していないということだけはわかっていました。でも、それなら私はいったい何者なのか。どこから来たのか。明らかに私は記憶喪失状態になっていました。しばらくの間、味もそっけもない二次元の世界というか、安っぽいモノクロ映画のスローモーション画面に閉じこめられたみたいでした。
当時の私にわからなかったのは、愚かな祖先が過去三十年間に起こして負けた、ふたつの世界大戦の、二番目が終わったあとのウィーンに私が生まれたということでした。
多くの建物を爆撃し廃虚にした連合軍が今や市中を占領していました。人が歌ったり笑ったりすることを私は見たこともありませんでした。私の父、ふたりの祖父、叔父たちがヒトラーと同じ軍服を着ている写真を発見したとき、私の問いかけは始まりました。私が舌足らずだったためか、人々も記憶喪失に陥っていたためかはわかりませんが、残念ながら何の回答も得られませんでした。しかし私はたいへん辛抱強い子どもでしたから、そうすることがどこにも私を導いてはくれなくても問いかけることをやめなかった。そして、18歳のときに突然の奇跡が訪れ、唯一の突破口を見いだしました。それはアーティストになる、ということでした。こうして私は絵を描き始めました。私は美術界のことも、ほかのアーティストのこともあまり知らなかったし、スタイルやテクニックも気にかけませんでした。ただ、私がずっと持ち続けてきた問いをイメージとして表わすことを始め、一歩一歩自分の造形言語を発展させてきました。
しかしながら、私は自分の小さな水彩画がひき起こす感情的な反応の嵐に対して、まったく心の準備ができていませんでした。私は自分が、人の心の奥底までも触れ、揺り動かし、何ものをも貫いてしまう魔法の言語を持っていることに気がついて、ショックを受けました。驚いたことには、この沈黙の国の人々が語り始め、反応を見せたのです
こうして私は、自分がますます多くの人々を相手に力強い対話をし始めていることに気づきました。これは決して止むことなく、私の人生の契機となり、宿命でもあったのです。
2.平面だからこそ起こるリアリティ

Q: 現代日本では、コミックやテレビ・アニメーションの影響が大きく、ボクサーの多くが、あるボクシング・コミックを読んでボクサーになりました。
二次元の表現、つまり、本来はヴァーチャルな表現が、実際のボクサーよりもリアリティがあり、影響力があるのです。
写真や写真に関連した絵画、そしてコミックなどの平面表現のもつ現実感(リアリティ)、そして人間の無意識に訴える力について、どのようにお考えですか?
Helnwein:
想像力や幻想はいつでも、現実という凡庸で退屈なものよりも圧倒的で力強いものです。現実とは何でしょうか。古今東西を通じ、現実を定義し、現実とは何かを語るのは常に為政者―権力の「管理者」―でした。そしてあらゆる教育システムの目的は今も昔もただひとつ。彼らが作り上げた「真実」あるいは「現実」に、またそれに付随するもろもろの小さな信仰体系にあなたを合意させること、そしてあなた個人の持つ現実―あなたの内面にある不可思議で自由な世界、あなたのふるさとである内的宇宙―を捨て去るか欺くこと。もちろん、時代や国によって、気まぐれで馬鹿げた小さな信念の体系はまちまちでしょうが、それを押しつける方法は常に同じです。すなわち、従わない者には脅し、処罰、痛みと恐怖を与えるというものです。私が目覚めたのはこうした戦後の宙ぶらりんなウィーンの現実のなかであり、それは五千万人を殺りくしてのけた、その同じ人間が作り出した現実だったのです。このような子ども時代の過渡期に、慈悲深い神か女神は、私に初めて訳されたドイツ語版のミッキーマウスの漫画本を授けました。これにはディズニーの天才アーティスト、カール・バークス作のドナルド・ダックの物語がすべて収録されていました。初めてドナルド・ダックの本を開いたときというのは、鉱山の災害でいく日も地下に閉じ込められた人がやっと日の光に再会できた、そんな感じでした。私は注意深くまばたきをしました。なぜなら、私の目はドナルドの国の眩しい陽光にまだ慣れていませんでしたから。そしてその新鮮な空気を、けちなスクルージおじさん(ディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する守銭奴)の貯金箱から脱出してきた自分のすすけた肺にがつがつと吸い込もうとしました。ドナルドの国から帰ってくれば、私は自分の家に帰った気がしました。そこは、蒸気ローラーでぺちゃんこにされても、銃弾で穴だらけにされても、たいした怪我もしない世界でした。
黄色いくちばしと黒い鼻孔(鼻はないが)があっても、よほど「人々」のまともに見える世界。ここで私は私の人生を永遠に変えてしまう人物に会ったのです。オーストリアの詩人H.C.アルトマンの言葉を借りれば、現在、言う価値のあることをもっている唯一の人物にです。
それがドナルド・ダックだったのです。漫画の本を閉じるたび、私は二次元の悪夢に戻らねばならなかったけれども、それはもう前と同じというわけではなかった。なぜなら、私はほかにも世界があることが今やわかっているし、逃げ込もうと思えばいつでもそこへ逃げ込めるからです。
3.死について

Q: ウォーホル、バロウズ、キース・リチャーズ、マンソン……、あなたの撮影されるポートレイト、あるいは写真には死の匂いがします。もともと、人間の顔は多くの表情を持っていて、中には、生きているのに死んだ時の荘厳さをもっている表情もあるのだと思います。あなたが、描くためにポートレートを撮る時には、そうした表情のなかの、死に近いものを選び取っているのでしょうか? あなたは、死というものをどのようにとらえていらっしゃいますか?
Helnwein:
私の「Faces(顔)」シリーズも、やはり対話の産物です。制作の手続きはできるだけシンプルであるように、私は心がけています。通常は、私が関心をひかれた相手と会い、とにかく出会いの瞬間にすべてを委ね、その人物がどんな容姿なのか、どうふるまうかなど、いっさい予測しないようにしています。常に不確実さがつきまといま
す。撮影される側にとってもそうでしょう。
次にどのような段階を迎えるのか、誰にもわかりません。たとえばアンディー・ウォーホルは、いつもどおりのあいさつを交わし、少しおしゃべりしたあと腰をかけ、一時間以上黙りこんで身じろぎひとつしませんでした。奇妙な沈黙で、最初は居心地が悪く感じられました。何を言ったらいいかもわからず、何もかもが凍りついている時間のようでした。アンディーの顔のようにね。だんだん私も落ち着いてきて、社会的な体面などがすべて崩れ去ったところで撮影を始めました。まさに決定的瞬間に、アンディーと自分だけが宇宙にぽっかり浮かんでいるような気がしました。よく撮れた写真はすべて、これと似たような瞬間を捉えたものです。顔の写真を現像するのは、いつも冒険のようでわくわくします。なぜなら、結果は予測できないし、秘密の部屋を開けて、誰も見たことのない何かを掘り出すようなものだからです。稀にしか起きないことですが、カメラは巨匠の手にかかると、肉眼では捉えられないような人格を露呈させることがあります。顔は一時たりとも同じではなく絶えず変わり続け、自らの中から異なるイメージを映し出し続けられるスクリーンのようだ、とウィリアム・バロウズも言っています。
4.アメリカについて

Q: あなたは、現実社会の様々な矛盾をイメージとして表出させていて、未来を先取りしているとすら思えます。
それは、ドナルド・ダッグとミッキー・マウスのアメリカが、一方でキリスト教の旗を掲げながら、イラクに対して「ethnic cleansing」を行うアメリカであるということを描いているからです。現在、アメリカで活動をなさっているあなたは、アメリカをどうとらえていらっしゃいますか?
Helnwein:
またしても私の陰うつな幼年時代の話になります。そのころ、私が文化に触れる唯一の場所といえば、虐げられる人々の描かれた絵や聖人の亡骸のある、暗く冷たいローマ・カトリック教会でした。そんなとき、よりすばらしい世界からひとすじの光明が射すように、ドナルド・ダックやエルヴィス、チャーリー・チャップリンといったアメリカ文化の伝道者たちが到来し、こうしたわくわくさせる刺激的なものはみなアメリカや英語圏の国からやって来るのだと知ったのでした。ブルース、ロックンロール、ザ・ローリングストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、数々の漫画、映画、ブコフスキー、バロウズなど。人を変える魔力を持つこれらの芸術とも思われていないものは、もうたまらなく魅力的でした。
しかし、ケネディー大統領に対して発射されたダラスの弾丸が、つかの間の無垢な夢を終わらせてしまいました。この後長い低迷期が始まりました。ヴェトナム戦争、キング牧師暗殺、ウォーターゲート事件、株式市況、エンロン疑惑、湾岸戦争、コロラド州コロンバインの高校における銃乱射事件、9.11のテロ、などなど。
まるで致命傷を負った巨人がゆっくりと倒れて行くように、西洋キリスト教世界がついに滅びつつあり、ローマ帝国が再び崩壊しつつあります。
私はロサンジェルスに仕事場を持ち、そこで制作するのが好きですが、それというのも、そうした崩壊―つまり物質主義の精神に対する勝利―がもっとも進んでいる場所だと思うからです。
私は現在の最先端にいたいと願っていますし、私たちがこの新しい世界にどのように立ち向かって行くか、また、“恐怖”という、最も古くて優れた道具を新しい為政者たちがいかに巧妙に使うのかを観察し続けることが、自分のアーティストとしての義務だと思っています。
テロリスト、SARS、エイズ、癌、薬、児童虐待、連続殺人、経済的な破滅などの“報道”は、私たちを呑みこみそうです。
5.観るものを震撼させる

Q: あなたの作品は、観客の感覚の中で成立するように、観客に向けて開かれた作品になっていると思います。たとえば、あなたの作品を見て、幼児虐待だと批難する人は、そういう狭い世界観に囚われていることを露呈します。それぞれの作品の中に、様々な受け止め方が起こるような要素を含ませているとも言えます。
誤解を避けたければ避けられるにもかかわらず、あえて、そのような挑発的で震撼させるようなイメージを観客に対してさらけだしていくのは、どうしてすか?
Helnwein:
アートは常に、作者の生きている社会や時代を反映し、その文化をめぐる状況について何かを語っているものだと私は考えています。現代は物質主義と利潤追求の時代であり、すべてを食い尽くす娯楽産業は時代の寵児です。
ですからアーティストもキュレーターも、忘却の海に沈まぬよう、聞いてもらい見てもらおうと、必死でこのマルチメディア娯楽の怪物と必死に格闘するため、怪物と同じくらい騒々しく安っぽく愚かでいなくてはならないのです。
だから美術館におさめられた現代美術の作品の7、8割はくだらないものなのです。とはいえ、それぞれの時代は、時代ごとの美的価値を持っていることも事実であり、この時代の観衆によく伝えたいと思えば、彼らにとってわかりやすい美術言語を創り出さなければなりません。
それが私のやっていることなのです。「観客は私の生涯の恋人です」と言うほど、私は公衆に取りつかれています。私は作品によって、観客のみなさんに触れ、抱きしめ、心を揺さぶり、ときにはお尻を蹴飛ばしたい。私が専ら考えているのはこのようなことなのです。
またいっぽう、私も観客の声を聴き、真剣に受けとめます。なぜなら観客やほかのアーティストだけが私に何かを教えてくれる人々ですから。
このプロセスを、進行形の相互学習と呼んでもいいと思います。
私は観衆が私の意図を誤解したとか曲解したと思ったことは全くありません。愚劣で尊大な一部の美術批評家や「権威」は、たいてい私の意図が理解できないのです。
それにしても、こういう権威をかさに着た自称専門家たちが、私の作品を受け入れ、もてはやすことがあったら、それはさぞ怖いでしょうね。
6.身体の損傷/拘束された身体

Q: 今、日本では、やむにやまれぬ気持ちでリスト・カットする子たちが増えています。彼らは死ぬつもりではなく、傷をつけているのです。また、包帯を巻いて町を歩いたり、棺桶に入って写真を撮ってもらったりするのを楽しむ子たちもいます。彼らは誰かに傷つけられたりしたいわけではありません。ロリータの服装をする子たちも多くいますが、男の欲望の対象になる気持ちはさらさらありません。その状態になりたいのです。無意識のどこかで見えなくなった死というものを実感したいのかもしれません。あなたの描く少女たちにも傷があったり、包帯を巻いていたりしますが、誰かに傷をつけられたという印象がありません。その状態のフェティッシュさを感じますし、傷は聖痕のように存在するようにも思えます。
描かれた傷や、映像の上から擦過した傷、さらに拘束された身体にはどのようなイメージやメッセージを込めているのですか?
Helnwein:
私が常日頃疑問に思うのは、なぜ人々は他者に対してこれほど苦痛を与え続けるのか、ということです。
なぜあらゆる人はこんなにも傷ついているように見えるのか。
絵を描きはじめた時、私は自分がメッセージを持っているとは思っていませんでした。
私のアートは答えではなく問いです。
私は、1969年の暮れに初めて絵画を描きましたが、そのとき未知の領域の探検を開始し、30年後の現在も、この驚きに満ちた発見の旅を続けています。私は今もなおこの問いかけを続けていますし、作品を通して、この何ものをも覆い尽くす大きな問いの詮索をしている最中なのです。
7.子供とのコミュニケーション

Q: 子供は、私たちの未来であると思います。いま、子供と話をすることは、未来と話をすることに等しいと思います。お嬢さんがたと一緒に仕事をしていらっしゃいますが、作品の内容などについてどのようなコミュニケーションをされていますか
Helnwein:
私はいつも大人より子供のほうがずっと自然にコミュニケートできると感じます。あらゆることがずっとシンプルで、理屈にかなっているように思えます。
子どもの世界では、どんなことでも可能であり、想像力にも限りがなく、魔法や奇跡もあたりまえにその一部であり、アートと生きていることが一体です。
反対に、大人とのコミュニケーションには、往々にして制限が多く、信じがたいほど複雑で、何よりも退屈です。
不幸にも、世の中を仕切っているのも法を作るのも大人ですし、すべての子どもは教育と呼ばれる訓練課程を通らなくてはなりません。その課程を通り抜けると、彼らはたいてい破壊され、魔法は消え去り、市民、兵士、店員、売春者などなどの、つまらないものになってしまいます。
それでもおかしなことに、子どもたちの中にはその課程の効果が行き届かない者もいて、彼らには免疫があるかのようです。それである日私は気づきました。これこそほとんどすべてのアーティストに共通するもので、アーティストというのは、ある程度、子どもでいつづけることに成功した人々なのだ、と。
ピカソは言いました。「すべての子どもはアーティストである。問題は、成長してもいかにアーティストであり続けられるか、ということなのだ」アーティストの戦いとは、この異質な世界とどう折り合いをつけていくか、どう役割を果たせるのかということなのです。私は自分がアウトサイダーだとわかっています。でも、私はそのことが気にいっています。なぜならほかのアーティスト、子どもたち、そのほか多くの聖なる愚者との強い絆を感じているからです。これはちょうど、
「天才は生き残るために子どもや狂人の間に聖域を見いだす」とマリリン・マンソンが言い、
コクトーが「詩人が辛抱強く一生かけてほどこうとするゴルディアスの結び目[堅く複雑で、アレキサンダー大王がほどいたとされる]を子どもや狂人は切ってしまう」
と述べたように。
Beautiful Victim I
watercolor on cardboard, 1974, 53 x 73 cm / 20 x 28''




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