1989/06/01
MIZUE,Tokyo, Japan
季刊 夏 SUMMER 1989 No.951
Toshiharu Ito
伊藤俊治
The Black Mirror, The world of Gottfried Helnwein
黒い鏡 — ゴットフリート・ヘルンヴァインの世界
Artist of inner Turmoil. Gottfried Helnwein's works from the 1980's are represented by the self-portraits in his "Black Mirror" series. However, these works reach far beyond the boundaries of the ordinary self-portrait. They reflect the inner wants and desperation which lies within the viewer's own self. Helnwein points out the new form of the modern self-portrait which involves the creator and viewer alike.
Black Mirror, Self-Portrait
polaroid, 1987, 52 cm x 70 cm / 20'' x 27''
暴力の記憶
ゴットフリート・ヘルンヴァインの新作に「ブラック・ミラー」と名づけられた一連のシリーズ(1987)がある。恐怖小説の巨匠スティーヴン・キングの同名の小説にインスピレーションを得たものだ。
 アメリカの片田舎の12歳の少年が、その田舎町での単調な生活に飽き、他の子供たちがみなスーパーマンやミッキーマウスに夢中になっているのに自分だけは第2次大戦中のドイツの強制収容所の記録や読み物に熱中する。
 その記録を見たり、読んだりするたびごとに、少年は「彼らは本当にそんなひどいことを現実にやったんだ」と驚き、ゾクゾクとしたものが体のなかを走ってゆく。そしてある日いつも通るバス停で、少年は収容所の記録写真のなかで見たことのある顔を見つける。髑髏の勲章のついた黒い帽子を被り、ナチの黒い制服を身につけていた忌わしい男の顔が少年の現実の世界に突然あらわれたのだ。少年はその男に秘密の手紙を出し、なぜあなたはあんなむごいことをしたのかと尋ねる。その男が本当のナチの親衛隊員だったのかわからなかったのだが、返事が少年のもとへ届き、その手紙には、自分の命を救うためだったという理由がしたためられていた。
 少年のなかで、単なる好奇心が、実際の体験への欲望に変わってゆく。そして彼ら2人は〈殺人同盟〉をつくり、小さな犬や乞食や「生きる価値のないもの」を次々と殺害してゆく— 。
 ヘルンヴァインの連作はこうした物語を踏まえながら彼独自の〈黒い鏡〉の世界を生みだしている。「ブラック・ミラーⅠ」では、白をバックにどす黒いヘルンヴァイン自身の頭部が包帯でぐるぐる巻きにされ、まるで硬い岩のように突出している。眼と口に強制具をかけられ、彼は見ることも話すこともできず、〈無言のメッセージ〉を発してくる。「ブラック・ミラー Ⅱ」はそのアップの写真で、黒い薄い包帯の向うに彼の絶望的な苦悩の表情がうっすらと浮びあがる。さらに「ブラック・ミラー Ⅲ」は背景が黒に変わり、怪物然としたヘルンヴァインの頭が何か激しい叫びをあげているかのように天に向って突きささっている。黒い肉体を地に金属がにぶい、白い光を放つ。それはヘルンヴァイン自身に加わる暴力の総量をこの〈黒い鏡〉へたたきこんでいるかのようだ。
 もちろんこうした光景によってヘルンヴァインは、あのナチの拷問の秘儀を浮上させようとしていることはまちがいないだろう。
 拘禁室での様々な拷問、先のとがった材木の上にひざまづかせ、その肩に拷問者がのしかかる。腕を後手にしばってぶらさげ、気絶するまでほうっておく。足で蹴り、拳でなぐり、鞭で叩く。歯をヤスリで削り、爪を剥ぎ、バーナーやタバコで皮膚を焼く。濡れたコードをプラグにさしこみ、体におしつける。
 あるいはその背景の密室感覚はダッハウの低圧室を思い起こさせる。頭に圧力を加え続けるとその人間は発狂状態になり、圧力を何とかゆるめようと、髪の毛をかきむしったり、自分の肉体を切り裂こうとるするというあの死の舞踏だ。さらにその「ブラック・ミラー」の金属と手術室の匂いは、人工ホルモン実験、血清学実験、骨や筋肉への外科実験、安楽死実験、毒性実験といった一連のナチの医学実験を彷佛とさせるかもしれない。
 個人の外部と内部を圧迫する得体の知れない、不気味な暴力、我々はその暴力を見たわけでも、体験したわけでも、その血や汗の跡が体に染みついているわけでもないのに、その連作を見ていると彼らがあの時吸いこんだ匂いや汚臭が突然、胃壁をつたって這いのぼってくる— 。
新しい頽廃美術
新しい頽廃美術
ヘルンヴァインの変容
 その後も、15人のボンデージ・チルドレンを主人公にしたアクション「白い子供たち」(1974)、「芸術とコミュニケーションのためのセンター」設立 (1976)、アメリカ滞在 (1977)、エドガー・アラン・ポーのためのドゥローイング展 (1979)、「タイム」誌のための性病をテーマにした表紙絵 (1982)、ドイツとオーストリアの共同製作によるTV番組「ヘルンヴァイン」(1984) と、センセーショナルな話題を次々と巻き起こすが、1985年、ウィーンのアルベルティーナで個展を開いたあとドイツに移住し、ケルンの近くで制作を始めるようになってからヘルンヴァインの作品は大きく変わってゆくことになる。
 まずこの年からヘルンヴァインは多画面構成(通常は3面だが、2面のこともある)のビッグ・サイズ (2X5m、あるいは2X6mといったものが多い)の作品の制作を開始している。
 各画面は写真であったり、複製の名画であったり、アクリルとオイルによる抽象的なパターンであったりする。
 例えば「半人の神」(1986) では、頭からダラダラと血を流し、白い服を血だらけに汚して、拷問を受け、殉教者の耐えるポーズをとるヘルンヴァイン自身の大きな写真が真中の画面に置かれ、その両側に十字架を突き立てた山に登る人を描いたカスパル・ダーヴィット・フリードリッヒの「ライゼンジバーバの朝」の複製と、スワスティカのマークを機体につけた戦闘機の離陸シーンを捉えた戦争写真が並置される。右手に平和や秩序や自然と人間の調和を示すロマンチックなランドスケープがあり、左手に戦争とカオスと激動をあらわすメカニカルなマシーン・イメージがある。ヘルンヴァインはその対照的なイメージのはざまでその両方を受け入れている。
 あるいは「証拠」(1986) では、包帯で顔じゅうをぐるぐる巻きにされたヘルンヴァインがまるでロープで首を吊った使者のように中央の画面に垂れ下がり、その左手にはヒットラー、ヒムラー、カイテルといったナチスの指導者たちを写したカラー写真が、その右手にはオイルとアクリルによる血だらけの頭部のような形象が、同時にモンタージュされる。 
 二つ目は、この年からスコーピオンズのLP「ブラックアウト」のジャケットにも使われた、フォークの強制具で目隠しをされ、絶叫をあげているヘルンヴァインのセルフ・ポートレイトをモチーフに、これもビッグサイズ (2X5m、2X3m) で、3面構成のセルフ・ポートレイト・シリーズをつくっていることである。ここでは初めは人間の顔をして叫び声をあげていたヘルンヴァインが、しだいに鼻や口や目を喪失し、赤や緑や黒の怪物やフリークスになってゆく様をひとつひとつの画面の軌跡を通してたどってゆくことができる。そしてその最後の作品「セルフ・ポートレイト14、15」(1987) では、まっ白な画面に溶けてゆくヘルンヴァインと、まっ黒な画面に消失してゆくヘルンヴァインとが2面構成によって定位されている。
 最後に注目しなければならないのは、シンディ・シャーマンの「アンタイトルド・フィルム・スチール」シリーズを思い出させるような自己劇化を試みるセルフ・ポートレイト写真を始めたということだろう。ここではヘルンヴァインはナチの親衛隊員になったり、盲人になったり、殉死者になったり、迫害者になったりしている。目隠しをされ、戦闘機が炎上する基地のなかをさまようヘルンヴァイン、廃墟となった市街の片隅で血を流すヘルンヴァイン、ナチの制服を着て娼婦と戯れるヘルンヴァイン、戦車に乗って砲爆を繰り返すヘルンヴァイン、ジャングルの戦場で無数の銃弾を浴びるヘルンヴァイン・・・・・彼らはみな死のヒーローたちであり、その画面はいつも突発的な暴力が起こりそうな予感に震えている。
 ヘルンヴァインの変容にはある意味で80年代のカタストロフィーのパースペクティヴと危機のムードが凝縮されているといってもいいのかもしれない。つまりそこには戦争や災害といったものだけではなく、性的暴力やファシズム、拷問や家庭暴力といったものが、時間軸や空間軸を超えてたたみこまれているのだ。多画面構成やメタモルフォーゼ、セルフ・ステージングといった手法によってヘルンヴァインは世界や時代の広がりや深さを見る者に目撃させようとしている。こうした手法によって生や暴力のプロセスを立体化し、現実の感覚を再ドラマ化しようとしているのた。すでに暴力やカタストロフィーやクライシスは、こうした多層的な構造のなかでしかとらえれられなくなっていた。
 収容所の近くで森の枝をゆする音や鉛色の空や有刺鉄線の門を通りぬけていった肉体がそこにはこめられている。炭化した肉の甘い臭いが漂いめぐっている霧のなかを歩いた肉体がそこにはある。熱気の陽炎がたつ戦場に舞う絶叫や光の渦のなかを突き進む肉体がそこには存在している。やせて、ひからびたパンのような顔をした男のうめきや、何かをしゃぶっている音、低い話し声、腫れものや、うんでいる傷口、麻痺している感覚、そうしたものがそこには充満している— 。
恐怖とセルフ・ポートレイト
恐怖は〈正常〉と〈異常〉との複合した感覚である。そしてこの恐怖のオブセッションのなかで我々は絶えず次のような質問に直面させられてしまう。
 何が〈正常〉なのか。何が〈異常〉なのか。どこに〈怪物〉がいるのか。誰が〈正気〉なのか。何が〈狂気〉なのか。どのような歴史的、社会的、道徳的、肉体的な現実性が組みあわさり、我々が〈怪物〉や〈異常〉や〈狂気〉と呼ぶものをかたちづくっているのだろうか。
 通常、恐怖という感情は、〈正常〉なものへの〈異常〉なものの侵入を核心に置いている。ヘルンヴァインの行為もこの事実をしっかりと認識し、その侵入のプロセスを作品のなかへ投影しようとしている。しかし、彼がめざしているのは、この恐怖を、単なる恐怖として表出させることではない。彼が考えていることは、この恐怖の感情によって、我々は自己をより深く生き、境界や限界を超え、恐怖と悦びとが厳密に区別されない領域へ入りこんでゆけるということなのだ。
 おそらくそうしたことをヘルンヴァインが強く意識するようになったのは80年代に入ってからなのではないだろうか。
 もちろん、その初めからヘルンヴァインの作品は見る者を困惑させ、不安をかきたて、挑発し、その多義的なイメージにより、深い根を持つ感情に働きかけてきた。しかし、それは、社会に充満する暴力の存在や時代の構造的な不安の存在を指し示していたにすぎなかったともいえるだろう。それが時代を経るにつれ、ヘルンヴァインの作品には、灰色の曖昧な状態から我々を明るみへと引き出し、我々の世界の隠された側面との出会いをもたらすような普遍的な恐怖への扉が様々に用意されるようになっている気がする。
 ヘルンヴァインにとって恐怖とはいわば、意識と潜在意識との間の濾過スクリーンのようなものになっているのだ。 
 そしてそうした変化とともに恐怖そのものも、外から見知らぬものによってもたらされるものというより、自己の内部にもともとあって気づかなかったものという意味あいに変わっていってしまう。
 恐怖とは、見知らぬものがそこへ入りこんだ時に見出すことになる構造のなかにもともと孕まれていて、実はこの見知らぬものは見知らぬものというより、その構造の一部なのである。それをヘルンヴァインはこの20年近くものセルフ・ポートレイト・シリーズのなかで知ったのではないだろうか。
 フロイト派の機関紙「イマーゴ」(1914) に掲載されたウィーンの精神分析学者オットー・ランクの有名な論文「ドッペルゲンガー(分身)」の冒頭には、H・H・エーヴェルス原作の映画「プラハの学生」が紹介されている。主人公が恋や仕事の邪魔ばかりする分身に発砲したところ、胸から出血して自分も死んでしまうという物語である。この分身とは、主体と異なる身体を持った存在ではなく、主体が生みだす幻想のようなものであり、人の身体の影や鏡像や肖像もこの種の分身の系列に入ってくる。
 例えばありふれた部屋のなかに坐っていて、突然、ドアの向うに死体があると言われた時のことを考えてみよう。すると一瞬のうちに我々の坐っている部屋の空気は完全に変わってしまう。部屋のなかのすべてのものが新しい表情を帯びてくるのだ。光や雰囲気がちがったものになり、物は我々が心で考えているとおりのものとなる。 
 分身はいわば死への不安の裏返しでもあるとランクは言う。分身は死の前触れとして、死神として、恐怖そのものともなるのである。ヘルンヴァインはその事実へのプロセスを新しい作品のなかで具体化しようとしているかのように思える。「ブラック・ミラー」の原作者であり、〈恐怖の名工〉であるスティーヴン・キングはその『ナイト・シフト』の序文のなかで恐怖の本質をこう語ったことがある。
「子供は恐怖をたやすく察知するが、忘れるのも早い。それで大人になってから、もう一度、学び直すのである。我々は皆、シーツの下に横たわる死体の姿を思い浮かべるように、遅かれ早かれ、恐怖がどのような姿をしているのか気がつくようになる。我々が抱く様々な恐怖が統合されて、一つの大きな恐怖になる。つまり我々の抱く恐怖はすべて大きな恐怖の部分 — 腕、脚、あるいは指や耳なのだ。シーツの下に横たわる死体は恐ろしい。それは我々自身の死体なのだ。」(高畠文夫訳、扶桑社)
 だからヘルンヴァインの近作のドッペルゲンガーは犯人でもあり、犠牲者でもあり、殉教者でもあり、悪党でもあり、懺悔する人でもあり、告訴する人でもあり、分身でもあり、自己でもあるという具合に、常に両義的な存在と化しているということもできるだろう。そこで見る者は自らを試されるのだ。
 ヘルンヴァインのセルフ・ポートレイトは決してヘルンヴァイン自身の〈自写像〉なのではない。それは見る者に対して見る者自身の思考や欲望や絶望を明らかにするスクリーンなのだ。そしておそらく80年代のセルフ・ポートレイトの意味はそこにある。この時代に、セルフ・ポートレイトはつくり手の自己を写しだすものから、見る者の内部探究をそそのかすものへと変わっていったのである。
 ヘルンヴァインのセルフ・ポートレイトは見る者の私的で、社会的な記憶や快楽や不安を投映する壁として機能することができる。いや、それこそがヘルンヴァインの変容が追求したものなのだ。彼のセルフ・ポートレイトはすべての人々の内部を写しだすミラー・イメージとなる。そしてそのヘルンヴァインの〈黒い鏡〉に写し出される像は、時代を経るにつれ、ますます歪み、黒々と光り、悪夢のようになってゆくように思える。
いとう としはる = 1953年秋田県生まれ。東京大学大学院修了。西洋美術史。美術評論家。多摩美術大学講師。主著『写真都市』(冬樹社)、『ジオラマ論』『生体廃墟論』(リブロポート)。
Toshiharu Ito: Born in Akita in 1953. Graduate Course of Tokyo Univ., M.A. Art history. Art critic. Instructor at Tama Art Univ.




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